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7月, 2012の投稿を表示しています

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読書三昧―『源氏物語』というパンドラの箱

今年はのっけから本が増えて増えてならないのだ。自宅の蔵書が書棚に収まりきれず溢れかえり、あちこち本の塔(まるで卒塔婆のよう)ができて居処を狭くし、煩わしい。しかし、読みたい本が目の前にあるという充足感は格別。諸刃の剣でいずれにしても読書というものは、蔵書が“増書”となり、行き過ぎると“毒書”ともなる。
 昨年は春から夏にかけて、ジョイスの『ユリシーズ』をかじった。かじっただけなので、読後の達観した気分にはならなかったが、連夜読み続けていたその頃、1巻だけでも厚みのある『ユリシーズ』が寝床の傍に3巻も並べられ、さらに隣に『フィネガンズ・ウェイク』が2巻置かれていた。そうなると、かなり手狭となって、これまたひどく分厚い柳瀬尚紀訳『ユリシーズ 1-12』(河出書房新社)を読み出したりすれば、もはやジョイスの本に囲まれた私自身の身体は、狭い窮地に追い込まれた小動物である。この点、巨人ジョイスに隷従した身と言っていい。  それほどの長編小説は懲りて、もう読まないようにしている。にもかかわらず、昨年末、保坂和志氏の些細なコラムを読んだのをきっかけに、紫式部の『源氏物語』にすっかりはまってしまった。これがまた言うまでもなく、大長編である。そうして収まりきれない本が、蔵書が、またしても増えてしまったのだ。いかんいかん…。  確かその前、秋だったと思うが、古書で『日本国語大辞典』全10巻を買い込んだ。これはなんとか書棚を整理して全巻押しくるめることに成功したのだけれど、今まさに岩波と角川とポプラ社(児童書)による『源氏物語』数冊と、絵巻関連の本と、それから瀬戸内寂聴版『源氏物語』全10巻(講談社)を揃えてしまった渦中において、私はじっくりと、この長い物語を耽読することにした。平安貴族の幽玄の世界に浸り、悦楽の気分を味わうために。
§
 『源氏物語』の文体の、その美しくも儚く、時に性的で艶やかな「言葉」の秘めたる鼓動を、なんと驚きをもって表現すれば良いのか。これがいにしえの、平安朝時代に書かれた読み物ということに対する純粋な感動。そこには、まどろんだ一昼夜の風雅にたたずむ男女らの交錯と、あれやこれやの大人びた人間模様の連鎖が記録されているのであり、私はそのことの発見に何度溜め息をついたことか。  岩波書店のPR誌『図書』12月号の保坂和志著「ようやく出会えた源氏物語」を読むと、新…

秘密基地

敬愛する作家・伴田良輔氏に倣って、少し猥雑な話を駆り立ててみたい。
 音楽レコーディングにおけるプライベート・スタジオなどというものは、かつて少年が心をときめかせた“秘密基地”のようなもので、『ウルトラマン』に出てくる科学特捜隊だとかウルトラセブンと協働した地球防衛軍が極東支部とする富士周辺の基地、などがそれに相応する。かつて少年――と書いたが、おそらくそういったものに心ときめいたのは昭和の世代の少年達であって、平成世代の子供らの感覚はこれに当てはまらないかも知れない。少なくとも私は“秘密基地”に憧れ、プライベート・スタジオという空間で言わばそれを具現化してしまった。

 私が小学生だった頃――昭和50年代――我が町の宅地造成と商業地開発の波はまだ緩やかで、あちこちに松原とその他の雑木林が顕在していた。そういった場所は夕暮れを過ぎると、一気に視界が陰って暗くなり、闇の空間に変貌した。子供らにとってそういった雑木林は、良き遊び場でありつつ何かの秘密事をするには最適な場所であった。

 さて、とある空き地の一角が、私とその仲間達数人の集合場所…憩いの空間…サロンとなっていた。ちなみにそのような場所はいくつもあって、大人達がやってきて都合が悪くなれば、用意周到に別の空き地へと移動する。その行動はまるで少年探偵団まがいだ。
 その、とある空き地が心地良かったのは、ほぼ10メートル四方の一角全体が、高さ2メートルほどに伸びた蔓草で覆われていたからである。しっかりと太い茎は子供らの身長を超え、巨草と化した蔓草の葉も大きくざらついていて四方の壁面部を呈し、大人らは近寄らず、子供らの隠れ場所には最適だった。
 そこはジャングルに見立てられた秘密基地、であった。蔓草の茎を部分的にへし折り、ジャングルの内部へ続く通路を形成。内部の中心部には、段ボールで小屋のようなものを拵え、そこが我々の本部だ。ここでしばし他愛のない秘密会議が催される。

 ある日の朝、登校途中で仲間の一人が、道端に落ちていたビニ本を発見した。雨ざらしで雑誌は干涸らびた状態となっていたものの、なんとかページをめくることができる。とは言え、朝方から小学生がそれを路上で見入ることは許されない。小学2年生の少年にとってその発見は、驚愕と危険と微弱な性欲とが複雑に入り交じった一大事件であった。彼の咄嗟の判断によって、そのビニ本は、発見され…

誘惑は螺旋階段のように

スパムメールの中身にうつつを抜かしてはならない。が、延々と自問自答を繰り返す日々の中に、時折、階段から滑り落ちる一瞬というのがある。〈滑り落ちてみようか〉と思わせる未知なる鋭利な誘惑である。
 そもそもこの一瞬の魔は、メールソフトの迷惑フォルダが機能的に不完全であることから生じる。迷惑フォルダは、プログラムがメールの受信時に自動的にスパムを抽出し、正規の受信フォルダと区分される。当然、迷惑フォルダに区分されたそれらは、ほとんどがゴミ同然のメールであり、私が使用しているメールソフトの場合、これらはメーラーを閉じた瞬間に自動的に削除される。
 ただし、迷惑フォルダの中には、たまに重要な――スパムでない――メールが紛れ込んでいることもある。従って、一応、人が確認しなければならないのだ。その際、各スパムのオブジェクトが眼に入る。これが怖い。このオブジェクトが誘い水となり、ついその中身を確認したくなってしまうのだ。

 ところが最近、一部のスパムには面白い傾向がある。内容が富みに幅広くなった。馬鹿げたことだと思う下品な内容から、つい次回の続編を期待してしまう上品な内容のものまで網羅されている。

 筑摩書房のPR誌『ちくま』で歌人の穂村弘氏が連載している「絶叫委員会」で、こうした面白いスパムに関することが取り上げられていた。ある号では、実際に私が見たことのある内容のスパムが引用されていた。夫を失った未亡人・千枝という女性の投稿メール(あくまで作り事だろうが)。2000万円もの遺産を、あなたに差し上げたい云々…。

*
 例えばごくありふれた、エログロナンセンスなスパムというのは五万とある。実際に届いたメールの文章を少し引用してみる。
《経験豊富な人なら、私を優しく扱ってくれるんじゃないかと思って、連絡してみたんです…私じゃダメですか? もし私みたいな子供でもよかったら、経験させてほしいんです…大人の男性に可愛がってもらうのがスキです。処女だってことで、負い目を感じてるので、早くここから脱出したい…と思って焦ってメールしてます。たとえば、明日とかあさってとか、都合どうですか? 私でもいいと思ってくれるなら、優しく奪って経験させてください…よろしくお願いしますm(__)m》

 私は処女である、という告白で不特定多数の男性を誘惑する、よくあるパターン。年齢が記されておらず、思わず中…

赤エンピツの少年

つるりとゆで卵の白身のように、色白で肌質に凹凸がなく、丸坊主の毛先がやけに揃いすぎていて野性味に乏しく、喋り出すと快活さはあったが、途端にもごもごとして歯切れが悪くなる。決断力もある方ではない。ひょろりと長身な中学3年の少年Kに対する私の印象は、実を言うとそんな程度のもので、彼が同じクラスメイトであるということ以上に関係性があるとすれば、小学生の頃、同じ少年団で剣道をやっていて顔見知りであるということだけであった。

 彼はある日、日曜の午後を街の中心部にあるデパートで過ごした。彼の家はここから少し遠かったが、規模の大きなデパートといえばここだけであったし、ほとんどここに来ることが彼にとって毎週の決まり事のようになっていた。
 青い空に何か白い鳥がせわしく横切った。Kは躍動する心臓の振幅を感じながら、デパートの入口傍にある、小さな機械へと向き合った。既に小銭は掌にあったので、それを機械の投入口に差し入れた。
 機械が妙なメロディを発しながら何か喋り始めた。彼の手付きは慣れたもので、ディスプレイの横にあるテンキーボタンを一つずつ押し、自分の生年月日や性別やら、その他の事柄を音声に従って入力していった。

 やがて機械から、細長い白い紙がゆっくりと垂れ下がって出てきた。買い物レシートのような青いインクのギザギザの文字、それはカタカナと数字のみの印字であった。
 紙の出口のカッターでそれをちぎると、彼は眼を大きくして俯き、その小さな文字を読もうと懸命になった。僅か数秒で読み終えると、彼は一目散に駐輪場へ駆け走り、街の中へ消えていった。

*

 ある日私は学校の教室で、Kの不可思議な行動に釘付けになった。何やら手には紙の束を抱え、生徒一人一人に話しかけながらそれを渡して回っている。やがて彼が私の目の前にやってきて、同じように何かを話しつつ、一枚の紙が手渡された。それは手書きの文章を一色刷のカラーコピーで複製したものであった。
 “赤エンピツ”と書かれている。赤エンピツとはなにか。

 どうやらそれは、彼の実家が商売している文房具店のチラシだった。“赤エンピツ”が店の名だという。
「開店1周年特売セール」
「文具・ファンシー7~3割引」
「開店1周年記念プレゼント進呈」
 などと書いてある。

 この時の彼の行動を垣間見たとき、私の彼に対する印象ががらりと変わったような気がした。商…