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11月, 2017の投稿を表示しています

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京都へ―8年ぶりの鳩居堂

4月17日、京都の街をぶらり散策した。お目当ては、鳩居堂本店と二条城を訪れること。日中のあいにくの曇り空から夕刻には雨が降り出したこの日、別段、私の心には、それを憂う気持ちはなかった。天候などどうでもいい。お天道様の気儘さには逆らわない。すべて受け入れる。雨もよかろう。風情がある。こうして唯々、8年ぶりに京都に“帰ってきた”という思いが、感極まる何よりの悦びであり、その他に何もいらなかったのである。
8年前の京都散策を振り返ってみる。2010年3月30日と翌31日。――桜の花が咲き乱れる下鴨神社あたりから歩き始めた私は、およそ半日かけて街中をぶらぶらしたのだった。今出川通から百万遍、それから銀閣寺(慈照寺)へ。そして法然院、南禅寺とまわり、琵琶湖疎水のあたりから三条京阪へ。翌日は、河原町三条の寺町通にある鳩居堂へ。そこで文房具の土産物を買い、先斗町方面を歩いた。そうして作家・平野啓一郎の小説に出てくる高瀬川の面影を脳裏に刻みつつ、喫茶ポワレの佇まいを横目に、四条河原町界隈へと抜けた――。
 近いうちに京都へ、そしてまた鳩居堂へ訪れよう、と決心したものの、それから8年もの歳月が流れてしまった。愕然としてしまうほど長い時間の隔たり。この間、愛して已まない京都へ一度も足を運ぶことができなかった理由は、多々あった。2011年3月に東日本大震災。旅行どころではなくなった。そうしてその頃、思いがけずかつての演劇時代の旧友と再会を果たした。もう一方では、自らの音楽サイトの立ち上げというせわしい日々。旅行そのものが煩わしいと思う日々が、ずっと続いたのだ。京都が実に、私にとって縁遠かった。
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 京都駅に着いて、しばし、駅構内の勝手が分からず右往左往したのだけれど、徐々に記憶が甦ってきた。記憶というより身体感覚である。京都タワーを見上げて、その感覚が戻ってきた。やはり京都という所は、やってきた、のではない、“帰ってきた”なのである。  地下鉄烏丸線の烏丸御池駅で東西線に乗り換え、京都市役所前駅で地上に上がった私は、加賀藩邸跡とされる付近の高瀬川を眺めた。8年前の心に残る、懐かしき高瀬川。せせらぎすら聞こえない、このこぢんまりとした小川の雰囲気がなんとも堪らない。このすぐそば、漱石の句碑がある。が、私はその時、句碑の存在にまったく気づかなかった。 《木屋町に宿をとりて川向の御多佳さ…

思い切って森鷗外を読んでみよう〈二〉

中高生の「読解力」が不足しているという前回の話の続き。であるならば、思い切って明治の文豪・森鷗外の小説を読んでみようという魂胆である。  ごく最近の、中学3年の国語教科書、光村図書の『国語3』(平成28年2月発行)を私は入手した。昔の国語教科書と比べると、新しい方は大判というせいもあって重量感があり、レイアウトや図表の鮮やかさでとっつきやすい。教科書としてはとても優れており充実した内容であって、私はこの教科書を、国語力が身につく“読み物”として、たいへん気に入っている。  この『国語3』の中学3年時の学習内容を分かり易く説明すると、相応の国語力を身につけるため、「話すこと」「聞くこと」「書くこと」「読むこと」に細分化して学べるようになっている。そのうちの「読むこと」に関しては、詩や小説、俳句、漢文・古文、論説などのジャンルよりそれぞれ作品教材が用意され、語句や文章に注目しながら作品を読み、理解し、味わうということになる。
 『国語3』の「読書生活を豊かに―名作を味わう」は、《移り変わる時代の中で、人々の心に変わらず流れ続けるものを、読書を通じて感じ取ってみよう》という主旨で、森鷗外の短篇『高瀬舟』が用意されている。全文が掲載されているので、これだけですべて読み切ることができるが、中学生用に漢字表記が緩められているから、私は敢えて新潮文庫版の『山椒大夫・高瀬舟』を用意し、こちらを読むことにした。ちなみに教科書の方では、蓬田やすひろ氏のこまやかで闊達な絵がところどころ挿入されていて好感が持てた。
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 かつて私は、学校でお世話になった恩師の若き頃を温ねる旅の一環として、北九州は小倉の、森鷗外の旧居を訪れたことがある(当ブログ「蔵書森―松本清張と恩師を知る旅」参照)。その際、鷗外の小説を疎らに読んだ記憶があるが、遡って若い頃、鷗外の小説としては、『ヰタ・セクスアリス』(1909年)を読んだきり、『舞姫』や『山椒大夫』に関心を抱かなかった。漱石とは比べものにならないほど、鷗外と私は無縁である。  1899(明治32)年、37歳の鷗外は陸軍軍医監となって小倉に赴任する。その旧居はとても質素で、私が直接見たところ、武家の屋敷のような佇まいであった。普請としてだらしのないところが一点もないのだ。1909(明治42)年に小説『ヰタ・セクスアリス』を『スバル』に発表(発禁となる…

思い切って森鷗外を読んでみよう〈一〉

中高生が本を読まない、「読解力」が不足しているということが、昨今あちらこちらで聞かれる。どの程度?ということがよく分からなかったから、ふうーんってな具合で聞き流していた。しかし本当に、深刻らしい。  ちなみに、「読解力」を身につけないと、試験や就職に不利、ということは確実に言える。いやいや、それだけではなく、社会生活を送る上で、あらゆる面で不利、であることは間違いない。  私はここで、「本や新聞を読むことは、とても楽しい」ということを訴えたいのだけれど、いっそのこと「中高生が」という主語を拡大解釈し、それ以外の大学生だって大人だって、けっこう本を読まない、「読解力」が“苦しい人”がいるわけだから、そういう人達もひっくるめて、「読書が楽しい」ということを訴えたいと思うのである。  ならば、だ。ある中学国語教科書を参考例にし、これは私からの「提案」なのだが、思い切って森鷗外の小説に挑戦してみたら――。森鷗外って誰すか?ということも含めて、もし、“あまり面白そうでない”森鷗外の小説が読めて理解できたとしたら、人に自慢できるし、本を読むことの自信がかなりつくのではないか、と思ったのである。  本を読むことが苦手な人にとって、これはとんでもない冒険になるかも知れないが、私は「思いきって森鷗外を読んでみよう」ということをここで提案したい。実は私もあまり、森鷗外が好きではないのだ。

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 とりあえずその話は少し後回しにして、読解力が不足している昨今の云々について書いておく。  むかしむかし、私が高校3年生だった夏休みのある日。前夜から夜更かしをしてしまったせいで早朝になって急に睡魔に襲われ、そのくせ、今日は朝から出掛けなければならない、ということを突然思い出した私は、焦った。そうだった今日は、電気関連の試験を受ける友人に連れ添い、東京の試験会場まで行かなければならないのだ…(自分が試験を受けるわけではないのに)。とにかく眠い眠い眠いと思いながら(むろん電車の中では爆睡。その友人への応対はほとんど「無言の態度」をきめこんだ私)、神田駅だったか御茶ノ水駅だったかに降り立ち、大通りを少し歩いて、試験会場のあるビルに我々は到着した。  まだサラリーマンのごった返す、早朝の時間帯である。午後の待ち合わせ時間を決めた私は、友人と別れ、すたすたとJR神田駅に戻った。そして駅のホームのベン…

拳銃とウエスタンの『洋酒天国』

ネット・ブログで“ヨーテン”に詳しいのは、拙著[Utaro Notes]だけ。といっても過言ではない。これまで『洋酒天国』の中身を3年にわたって不定期で、40冊以上紹介してきた(ブログの“洋酒天国”カテゴリー・ラベルをご参照下さい)のだから。今年3月の「ごきげんよう『洋酒天国』」で一度は締めたものの、気持ち的に再び沸き立って第11号51号と復活投稿。今回は勢いつけて第43号を紹介したい。まあ、よくぞここまで継続できたなと思う。実際に自分で本を手に取って、皮膚感覚で一つ一つページを舐め回しているから、他の古書店などのデータよりよっぽど詳しく書いてきたつもりである。
 それでもしかし、ここまでくると、本の入手はかなり難しくなってきた。巷でよく出回っているのは、私が入手済みの号、ばかりだ。いくら定期的に各古書店を逐一検索しても、ここ最近はすっかり、未入手の号が見当たらない。今後新たに未入手号を買い求めることは、その稀覯本故にいよいよ困難な状況になってきた。特に、創刊間もない初期の1ケタ代の号を入手することは、もはや不可能に近いのではないかとも思われる。  が、こうなった以上、何が何でもすべての号を入手してやろう、実際に手に取ってやろうという意気込みである。古書店に頼らずとも、独自の情報発信によって、未入手の号を掻き集めたい(一時借りるという手段を講じてでも)。稀覯号の入手は、私にとって悲願の道程ということになってきたわけだ――。(※もし『洋酒天国』小冊子をお持ちの方で、お譲りいただける方がございましたら、こちら。
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 まえおきはこれくらいにして、壽屋PR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第43号。昭和35年2月発行。ちなみに前号の第42号は、前年12月発行で表紙はフランキー堺さん。実は前号が言わば女性による女性のための“ヨーテン”だったのに対し、今号の43号はその反対。男性による男性のための“ヨーテン”といった内容。それもかなりマニアックなテーマで、何を隠そう拳銃特集なのである。  壽屋がその頃スポンサーだったテレビ映画『ローハイド』(Rawhide)は、人気を博した西部劇(アメリカのテレビ映画シリーズ)だ。恐らくその縁故というかスポンサー的配慮を汲んでの拳銃特集だったのだろう。『ローハイド』の主演はエリック・フレミングと若き日のクリント・イーストウッドというから驚…

クラブ・カルチャーからサブ・カルチャーへの思索

リットーミュージックの月刊誌『Sound & Recording Magazine』の連載コラム「Berlin Calling」(筆者は音楽ライターのYuko Asanuma)が毎号興味深い。とくに先月では、2017年11月号のVol.30「クラブ・カルチャーから問う社会的問題意識」に共感を覚えた。このことについて、想起できるいくつかの事柄を個人的に思索してみたくなり、ここで敢えて取り上げてみたいと思う。

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 日本のクラブ・シーンとは違い、ベルリンのクラブ・カルチャーでは、政治的スタンスを主張するクラブやイベントが多い、というのが、Yuko Asanuma氏(@yukoasanuma)の今コラムのメッセージであった。一つの例として挙げられていたのは、Asanuma氏が参加したベルリンでのパネル・ディスカッションのこと。Cream cake主催で、テーマは「ヨーロッパ音楽における(文化の)交換と盗用」。クラブで(飲食を兼ねながら)「音楽を愉しむ」という感覚とほとんど同軸にして、参加者が各テーマをディスカッションし、意見の交流を推し進めるクラブ・シーンが、ヨーロッパでは定着している。://about blankのクラブでは、営業時間以外で“The Amplified Kitchen”というトーク・イベントが催され、人権問題やサブ・カルチャー的ワークショップが企画されたりしているという。
 日本のクラブ・シーンにおいては、まだまだ音楽的裾野の純度が高く、そこから政治的な主張やサブ・カルチャーへの議論の場へと多岐には広がっていない。個別のパネル・ディスカッションやサブ・カルチャー的ワークショップのイベントは都市に無数に存在しても、アーティストらがそれらを束ねて主催しているシーンは、ヨーロッパと比べてまだ程遠いのではないだろうか。だがそれも、日本の都市圏において同等となるのは時間の問題であるように思われるし、SNSの飛躍的な利用頻度が、「市民力」を以前よりも高めているように感じられる。
 Asanuma氏がコラムの冒頭で何気なく述べているように、「ドイツ人は議論が好き」ということから考えると、一般的に日本人は、仲間内ではよく喋るが、それ以外の他者とは議論が不得意、人見知りが激しい、ということは言えるかも知れない。  私の住む片田舎の街を例に挙げると、確かにこん…